皿山とよばれるわけは? 泉山・上の番所跡 皿山なぜなぜ03

泉山番所 PHOTO
 有田皿山とは、有田陶磁器生産地の総称です。その村々を指す言葉でもあります。「皿山」とは、九州地方では陶磁器の生産地を指し、そこで焼かれたものを「皿山焼」とよぶことがありました。有田では、登り窯のある陶業地のことを、はじめ「皿屋」といい、のちに「皿山」というようになりました。
 有田皿山は、内山・外山・大外山の三地域に区分されました。内山は現在の地区で分けると、泉山・中樽・上幸平・大樽・幸平・赤絵町・白川・稗古場・中ノ原・岩谷川内。つまり旧有田町の区域。外山は、有田町中部の外尾山・黒牟田・応法山・有田町西部の南川原山、西有田町の広瀬山・伊万里市の大川内山・一ノ瀬山。大外山とは、山内町の筒江山、武雄市の弓野山・小田志山、塩田町の志田山、嬉野町の吉田山・内野山の六か所をいいました。
 この場所は、江戸時代佐賀本藩によって□屋番所がおかれたところです。岩谷川内にあった「下の番所」に対して、「上の番所」とよばれていました。□屋番所の中でも特に泉山番所は、石場(磁石場)に近く、早朝から日暮れまで人馬によって焼き物土の出入りが片時も絶えませんでした。少しでも他領などへ盗み出す者がないよう、人や陶石の監視にあたっていたのです。
 有田において磁器が初めて焼成されたのは江戸初期ですが、その年代はまだ確定されていません。慶長の朝鮮出兵の際ヽ鍋島直茂が連れ帰った李参平(金ヶ江三兵衛)が有田の乱橋(三代橋)に住みつき、泉山で陶石を発見し、初めて白川の天狗谷窯で磁器の焼成に成功しました。この年代は、通説では1616年(元和2)とされていますが、近年の考古学の研究では、それ以前に焼かれていたとする説も出てきています。なお、「有田皿山」という地名は、行政上では1889年(明治22)の市町村施行の際に消えています。
(浦川和也)

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