大公孫樹(オオイチョウ)の年はいくつ? 泉山弁財天社 皿山なぜなぜ04

大公孫樹(オオイチョウ)

 有田町歴史民俗資料館を出て西の方角へ坂道を500mほど下りますと。右手の空にイチョウの大木がそびえています。初夏には目にもまぱゆい新緑が、秋になるとあざやかな黄色に変わって、皿山の情緒に彩りを添えてくれます。
 その大公孫樹(オオイチョウ)は泉山弁財天社の境内にあります。雄木で。樹齢は千年くらいとみられていますが、勢いを全く失っていません。高さは38m、根の回りが11.6m、人の目の高さ付近の幹回りが8.8m。枝の張りは東西31mに及びます。佐賀県内では一番の巨木ですが、これだけ大きなイチョウの木は、おそらく全国的にも少いでしょう。1926年(大正15)10月、国の天然記念物に指定されています。
 イチョウは中国が原産地だといわれています。日本にも原産したとか、寺の境内などに多いことから、中国に勉強に行った僧侶が、観音像などといっしょに持ちこんだとか、いろいろな説があります。
 そのようなことから、大イチョウのあるところに歴史あり、と人はみるのですが、弁財天社のいわれは分かっていません。ただ、境内を修理していたときに、朝鮮から渡って来た陶工が作ったものとみられる染付の茶碗や陶製の人形が出てきて、ここに古い窯があったことが証明されています。名工副島勇七の作だと伝えられる磁器の「赤絵狛犬」が奉納されていたという言い伝えなどから、弁財天社は、泉山に住む焼き物関係者の信仰の対象で大正~昭和初期の大イチョウあったとみられます。もしかすると、町の背後にそびえる黒髪山にこもった修験者たちの、道場の一つであったかも知れません。
 イチョウは病害虫に強く、火にも耐えます。それが長命の条件ともいわれます。有田皿山が1828年(文政11)の大火に会ったとき泉山の窯元池田伝平窯は焼失をまぬがれましたが、屋敷が大イチョウの枝に抱かれていたからだと伝えられています。
(原口 誠)