皿山に武士がいたの? 白川・皿山代官所跡 皿山なぜなぜ15

武士 PHOTO
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 有田皿山にも他の地域と同じように武士の身分の者がいました。まず皿山代官所の役人たちがそうです。中級武士の皿山代官のほかに、郡目付(証書等の取扱い、運上銀の受納)、下目付(薪割当や窯揚げの時の立会人)、取納役(内外皿山の諸運上銀の受納・決算)、土場目付・土場番人(磁石場の警備、陶石の持ち出しのチェック)、□屋番人(外部へ持ち出す品物の最後の検査、旅行者の警戒)、町警固(各所の巡回、運上銀徴収の手伝い、犯罪人の護送)などの役についている武士がいました。これらのほとんどは、手明鑓・徒士・足軽などの下級武士でした。
 このほかに武士の階級を持った者が郷村内に住み、百姓や町人たちと居住を共にしていたことがあります。これは有田皿山だけでなく、佐賀藩全体の特色となっています。その多くは「被官」とよばれた者で。佐賀藩士と私的な主従関係を結び、ふだんは百姓・職人・商人・漁夫などの職業につき、非常の時には主人のために奉公したのです。藩の家臣は、その家禄高に応じた従者をもっていなければならなかったので、百姓や町人の中から、わずかな扶持米か、あるいは無給で彼らを召し抱えていました。被官の側としても、百姓や町人よりも高い家格や戦時における戦功の褒賞に魅ガがあり、持ちつ持たれつの関係でした。なお、被官は必ずしも主人のそばに住む必要もなかったので、佐賀瀋内各地の有力家臣たちの被官が有田にも多く住んでいました。
 さて、有田皿山の行政はどのようになっていたのでしょうか。皿山代官所のもとに皿山と農村部に区分され、それぞれ大庄屋・大散使・庄屋(別当)・村役(咤)・散使などがあり、その下に隣保連帯組織の五人組(佐賀藩では下級武士も合んで構成)がありました。また皿山には地域別の庄屋の他に土庄屋・赤絵付庄屋などの業種別の庄屋もありました。これら大庄屋以下の諸役は一般の百姓や町人の中から選ばれていました。
(浦川和也)

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