赤絵の技法はいつから? 南山 皿山なぜなぜ22

赤絵の技法 PHOTO
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 赤絵は有田で磁器を焼き始めてから30年くらいあとに始まりました。1646~7年(正保3~4)ごろのことです。昔のことなので、正確な記録はなかなか残らないものなのですが、酒井田柿右衛門家に残された赤絵のはじまりについての「覚」と書かれた古文書が、唯一この事情を私達に教えてくれるのです。この記録と、発掘調査で古い窯跡から掘り出された赤絵の素地からこの年代が推測されました。
 最初に磁器を焼いた陶工達は赤絵を作る方法を知リませんでした。ところが、有田焼の輸出港伊万里に焼き物をあつかう有力な商人で、東島徳左衛門という人がいました。徳左衛門は長崎で中国人技術者からこの赤絵を作る方法を学び、それを有田の年木山(現在の泉山付近にあった窯場の名)にいた酒井田喜三右衛門に教えて作らせたのです。
 しかし簡単には成功せず、大変苦心したようです。そして、ごす権兵衛という人の協力もあって、ようやく赤絵を作るのに成功しました。
 その赤絵を長崎に持って行って、初めて売ったのが、「がりあん船」が来た6月初めごろのことと書かれています。がりあん船というのは、当時、わが国とは国交のなかったポルトガルの船で、長崎港に入らないようにするために、佐賀藩は兵を送ったり大騒ぎをしました。そこでよく記憶されていて、年号のかわりに書いたものでしょう。その年は1647年(正保4)です。
 染付だけの製品に比べて色彩豊かな赤絵は、高級品とIして盛んに作られるようになります。最初のころの赤絵酒井田柿右衛門家文書は、普通古九谷とよばれているような焼き物でしたが、だんだん絵具などがかわっでいきます。それに、初めは赤・緑・黄・青などの色絵具だけだったのが1658年(万治1)ごろには金・銀を焼き付ける方法も加わりました。こづして有田の華やかな赤絵の歴史が始まったのです。
(大橋康二)

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