技術を身につけるには? 佐賀県立有田工業高等学校 皿山なぜなぜ31

佐賀県立有田工業高等学校 PHOTO
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 焼き物の技術を身につけるには、ふつう少なくとも10年はかかるといわれています。江戸時代には現在のような学校がなく、絵描きさんや窯焼きに弟子入りをして勉強しました。絵描きの修業には特に年期の定めはなく、自宅から絵描き座へ通いました。ロクロなどの細工習いは、七年くらい窯焼きの家に奉公して修業しました。最初の2~3年は小使いと手伝いばかりで、めったに車壺(ロクロ場)へは入れませんでした。年期を終えると1年間お礼勤めをし、8年目にやっと一人前の細工人として賃金がもらえるようになりました。
 明治の新しい時代を迎えると、有田皿山でもいろいろな改革が行われました。白川小学校長の江越礼太は、有田焼の後継者養成のために、1881年(明治14)日本で最初の陶器工芸学校「勉脩学舎」を白川に作りました。1895年(明治28)になると、西松浦郡の一町四か村の組合立有田徒弟学校ができ、京都などから有名な先生を迎えて教育をしました。費用には泉山磁石場の純益金と県や国の補助金をあてました。
 1900年(明治33)、当時の町長横尾謙や町内有志の努力によって、佐賀県立佐賀工業学校有田分校が泉山にできました。四年制の図案、製陶科などをもつ学校でした。1903年(明治36)独立して佐賀県立有田工業学校となり、全国から陶磁器、図案絵画の先生を迎え、生徒も九州全域、四国、中国地方から集まりました。卒業生のなかか
ら江副孫右衛門、十二代中里太郎右衛門、十二代今泉今右衛門、十三代酒井田柿右衛門ら日本陶業界をリードした多くの人材を送り出しています。1948年(昭和23)、第二次世界大戦後の学制改革により、佐賀県立有田工業高等学校(窯業・デザイン・工業化学・電気・機械科)となりました。卒業生は全国の陶磁器業界や陶芸界などで活躍しています。また1989年(平成1)には新しく陶磁器コースが作られました。
(井手誠二郎)
佐賀県立有田工業高等学校

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