陶器市はいつから? 幸平・桂雲寺 皿山なぜなぜ45

陶器市 PHOTO
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 陶磁器品評会は1896年(明治29)3月、香閲社社長九代深川栄左衛門と有田磁器窯業組合長田代呈一の主催で、桂雲寺で開かれたのが始まりです。出品者141名、出品数784点。いらい年に一回開かれ、1901年(明治34)からは、その前年に国の法令で生まれた西松浦郡陶磁器同業組色の主催となり、名称も西松浦郡陶磁器品評会に改まります。1911年(明治44)から会場は有田物産陳列館(現在の商工会議所)に移り、毎年5月1日から一週間の会期になりました。太平洋戦争の起こった1941年まで続き、戦中戦後しばらく中断しました。1948年に有田商工会議所が生まれて復活し、4月29日から5月5日までの会期になりました。1969年からは地域が九州山□にひろげられ、名称も九州山口陶磁展と変わり、佐賀県、有田町、有田商工会議所の共同主催になりました。今は九州陶磁文化館を会場とする一部(美術工芸品)が5月16日まで、商工会議所が会場の二部(産業用陶磁器)は五月十四日まで開かれています。
 1915年(大正4)の品評会のとき、町青年会のリーダーだった深川六助が陶器店に呼びかけ、いっせいに等外品の蔵さらえ大売り出しを試みました。これが陶器市の始まりです。深川が有田青年会の協力を得て組織した協賛会が中心になって福引券を発行したり、有田駅と上有田駅まで無料で品物を運んでやるなどして、陶器市を盛り上げました。また、期間中は義太夫大会、謡曲会、俳句会。短歌会、碁将棋会、スポーツ大会などを催し、客を誘いました。
 その陶器市も品評会と同じ時期に中断し、1948年から有田商工会議所の主催で復活しました。戦前は上有田駅から中ノ原あたりまでの本通りを売り場とし、店数は百余でした。それが戦後は泉山から有田駅までの長い町並みが売店になり650余店。人出約70万。売上額15億円。戦前の陶器市は品評会が主でしたが、今は九州山口陶磁展は添え物の感じです。
(松本源次)

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