外国への輸出はいつから? 稗木場 皿山なぜなぜ47

外国への輸出 PHOTO
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 コロンブスが1492年(明応1)に新大陸を発見して以来、ヨーロッパ人の目は世界にひろがりました。十六世紀には東洋産の胡痢などを求めて東洋貿易が盛んになりました。十七世紀にヨーロッパの王候・貴族の間では、「東洋趣味」(中国趣味ともいう)といって宮殿の屋根を中国の宮殿のように反り返った形にしたり、「四阿」という中国風の休息所を庭園にしつらえたり、宮殿内の一室に所狭しと中国磁器を飾りたて、また日本の漆製家具を並べることが流行しました。当時のヨーロッパにはなくて、はるか東洋から運ばれてきたものを多く持つことは、自分の富と権力をこの上なく誇れるものでした。ドイツのザクセン王であるアウグスト強王は、1717年(享保2)に自国の600人の騎兵とプロシア王が持っていた中国磁器127点を交換しました。それほど中国の磁器は貴重なものだったのです。
 東洋貿易に大きな役割を果たしていたのは、1602年(慶長7)に設立されたオランダ東インド会社(略称VOC)です。インドネシアのジャカルタを拠点に、中国の景徳鎮の磁器などを買い付けて、オランダのアムステルダムで売りさぱいていました。ところが1644年(正保1)に中国の明が滅び、その後の動乱期には、磁器産地を中国のほかに求めなければなりませんでした。そのころ、有田は中国におとらぬ磁器生産地に成長していましたので、1650年(慶安3)から有田焼が輸出され始めました。鎖国の時代、日本の海外への唯一の窓□であった長崎の出島からVOCによって大量に輸出され、十七世紀後半から十八世紀後半にかけての数は、記録にある分だけでも約370万個以上にものぽるそうです。九州陶磁文化館にはそれらの輸出品が展示されています。明治初期、有田焼はウィーンやパリで開かれた万国博覧会へも出品されました。現在は毎年6億円分の有田焼を北米・オーストラリアなどに輪出しています。
(吉永陽三)

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