江戸時代の売上高は? 中ノ原 皿山なぜなぜ48

外国への輸出 PHOTO
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 焼き物にかぎらず、生産物は残らず売れたほうがいちばん望ましいわけです。じっさいには、価格や景気に左右されて、かならずしもそうはいかなかつたでしょうが。
 江戸時代に有田の焼き物が、どのくらい作られ、かつ売られたのか、そう簡単には分かりません。この時代、有田の焼き物は、ひとつは外国へ、もうひとつは日本国内へ売られています。
 外国へはVOC(オランダ東インド会社)や中国船籍の船で、東南アジアやヨーロッパなどへ輸出されました。その全体の数量などは、江戸時代のほぼ前半までに七百数十万個と計算されているだけで、しだいに減少していったと思われる後半期の実情は、残念ながらまだつかめていません。
 国内への移出高についても十分な史料がなく、満足のいく答えをえることは困難ですが、生産頷や売上高を推定できるところでは、・十八世紀後半の天明のころ、おおよそ五万俵と計算されるもの(「皿山代官旧記覚書」)、・十九世紀前半の文政年間、大阪への荷高(金額)を1か年銀一千貫目としたもの(「柿右衛門家文書」)、・同じころ江戸への荷高を、かなり大目に二十万俵と見積つたもの(「有田池田家文書」)などがあります。また1835年(天保6)に伊万里津から積み出した焼き物の荷高を二十六万四千俵としたものもあります(ただし全国へ。「伊万里歳時記」)。別には㈲この時代の終りに近い1863年(文久3)に、伊万里津からの積出高を約二十万俵と推計したもの(「伊万里川口番所俵銭方史料」)などがあるのですが、まだ十分には分かっていません。
 これらの焼き物には通常「荷高運上」とよぱれる税や、伊万里川口番所を通るときにかけられる「俵銭」などがあり、こうした税金は、藩の小物成方へ納められて、貴重な現金収入となったのでした。
(前山 博)

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