陶石はなくならないの? 泉山磁石場 皿山なぜなぜ01

泉山磁石場 PHOTO
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 泉山の磁石場に立ちますと、その景観にまず驚かされます。岩が露出して木がなく、道路や家のある地面より、はるかに下の方まで掘り下げられています。こうした奇妙な景色は、有田焼の原料となる陶石を掘り続けたためなのです。現在は岩山に囲まれて、大きな半円球の穴があいたような状態ですが、陶石が発見された17世紀の初めには、この空間は山そのものだったと考えられます。約四百年の間に、山を一つ削り取ってしまったばかりか、さらに下の方まで掘りおこした結果が現在の姿なのです。
 陶石とは、石英粗面岩の一種で、石英やセリサイト(絹雲母)を主成分とし、鉄分の少ないところは、白い色をしています。硬い石なのでつるはしで掘りますが、今日では電気ドリルなどが用いられ、運ぶのも馬車からトラツクヘ変わりました。道具が進歩して掘るスピードが増せば掘る量がふえ、限られた資源ですからいずれなくなってしまいます。
 この磁石場は「石場」と呼ばれました。貴重な原料であるため、江戸時代は皿山代官所が厳しく管理しました。明治になると、有田の窯焼き(陶磁器製造業者)たちによって管理されます。1875年(明治8)の記録によると、広さは一万四千九百七十八坪(約五万平方メートル)です。石場の管理は後に、町民と窯焼きから委員を選び、組合によって行われるようになりました。1897年(明治30)ごろは、一年間で一千六百斥(約一万二十四トン)もの陶石が掘られています。掘った陶石は全部使うのではありません。鉄分を含んだ部分は焼き物が白くならないので捨てます。四割ぐらいが捨てられたようです。掘り方も無計画でしたので、だんだん掘りにくくなり、陶石の価格が上がりました。
 有田焼は、主に泉山の陶石を原料として作られてきましたが、大正時代になると、熊本県の天草陶石が多く使
われるようになりました。泉山陶石は今日では年間七、八千トンが使われています。
(鈴田由紀夫)
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