日本初の個人救急病院を開業した上原淳医師が2020年7月13日にNHKで放送される『逆転人生』で取り上げられるそうです。
上原淳医師は個人救急病院の医院長という多忙なお仕事をしながらモータースポーツのラリー競技でスポンサーが付くほどの実力という二足のわらじをはいているそう。
上原淳医師は上司から医者という仕事は二足のわらじは成り立たないと言われたにもかかわらず、ラリー競技のおかげで医師としてのスキルアップや救急医という新たな道を切り拓いたんだとか。
すごいお方ですよね〜。
今回は、そんな上原淳医師がラリー競技を始めたきっかけから医師になって現在の個人救急病院を開業するに至るまでの経歴等を調べてみたので紹介します!
また、記事後半には上原淳医師のドキュメンタリー動画も紹介するので最後までお読みいただけたらと思います!
目次
上原淳医師のwiki風プロフィール
まずは上原淳医師の簡単なプロフィールから見ていきましょう。
上原淳医師のwiki風プロフィール
- 名前:上原 淳(うえはら じゅん)
- 生年月日:1963年9月4日(現在56歳・今年57歳)
- 出身:東京都中央区
- 学歴:産業医科大学
- 職業:医師(救急医・麻酔科医)
- 趣味:モータースポーツ・サックス演奏
上原淳医師の経歴は?
現在、救急医療の改革を目指す全国の医師から注目を集める医師にまでなられた上原淳医師さんの経歴を見ていきましょう。
医師を目指すきっかけ
上原淳さんが医師になったきっかけは中学生の頃にさかのぼります。
上原淳さんは中学生の時点で「他人の人生に影響を与える仕事がしたい」と考えていたそうです。
そして「他人の人生に影響を与える仕事はなんだろう・・」とずっと考え、当時思いついたのが『政治家』『教師』『医師』だったそう。
そして理系だったことと好きだった漫画「ブラックジャック」の影響を受け医師を志すようになり、福岡県の産業医科大学に入学します。
ちなみに、実家が本屋さんだったようで漫画をたくさん読んでいたようですよ!
産業医科大学に入学とラリー競技との出会い
産業医科大学に入学した上原淳さんは当時、心臓外科を目指していたそうです。
そして医学部2年生の冬に友達が持っていた雑誌がきっかけでラリー競技と出会います。
ラリー競技は公道を使うモータースポーツです。
もちろん使用許可を取って。
主に使用許可を取った林道などで一般車でスピードを競うようです。
友人の雑誌がきっかけでラリー競技を知った上原淳さんは興味を持ち調べてみると近くにモータースポーツクラブがあり見に行くと、安くで競技用の車を売ってもらえたそうで、当時は友人と3人で共有して走るようになります。
医学部4年生の頃には初めてのラリー競技に出場しどんどんラリー競技に魅了されたようです。
ラリーチャンピオン
ラリー競技に魅了された上原淳さんは医学生で医師になるための勉強の傍ら、ラリー競技の大会に出るために現場作業やごみ焼却場などでアルバイトされていたんだとか。
当時から多忙だったようですw
この頃は医学部5年生なのでレポートを書くくらいになっていたようですが、医学生がやらないような力仕事のアルバイトをして大会に出場。
しかもラリー競技の実力もすごかったようで、初参戦の北九州のジュニア大会でチャンピオンになり、アルバイトで貯めたお金や周りのご好意でお金を集め、戦闘力が高い車も用意し次は九州のチャンピオン戦に出場。
そしてまたしてもチャンピオンになり、翌年にはスポンサーも付きました。
プロドライバーか医師か
ラリー競技の九州の大会で優勝しスポンサーまでついたので本気でプロドライバーになるか医師になるか迷ったといいます。
ラリー競技の本場であるヨーロッパであれば医師よりラリーのプロドライバーの方が稼げるようですが日本だとスポンサーが付いたとしてもラリーだけで食べていくのは難しいそうです。
また、産業医科大学に入学したのに医者にならなければ親が悲しむかなということもありプロドライバーと迷った結果、医師になるとを決意します。
麻酔科の道へ
産業医科大学では心臓外科の道へ進もうと勉強もしてきていた上原淳さんは、臨床実習で色んな病院を回る中では思うような心臓外科が見つからず、同じ外科系の麻酔科で働くことにしたそうです。
当時の気持ちとしては3年くらい麻酔科で働いて学費を返済したら東京へ帰り心臓外科医の道へ進もうと考えていたようですが、いざ麻酔科の道で働いてみると面白くなりどんどん夢中になっていきます。
そして6年目には指導医も資格も取得。
救急への興味
福岡で産業医として働いていた頃に仕事は5時の定時で終わることもあり当直医として市内で働いていた時期があるそうで、そこで術後回復し退院することになった患者さんとその家族さんにお礼を言われとてもうれしく感じたそうです。
麻酔科医だと患者さんとの関わりが少ないですから。
そんなときに麻酔科医として働いていた病院から救急部を始めることになったので戻ってこないかと言われたことがきっかけで救急部の道へ。
地域との信頼関係
かつて働いていた病院に戻った上原淳さんですが、救急部を立ち上げるにあたり消防署にいくと過去5年間のデータを見せられ「これだけ救急を断ってきた」のに今さら信じられないと全く相手にされなかったのです。
この経験から救急について1から勉強したり、救急は地域との信頼関係が大事だということを知ったりして3年後には月に救急車が300台くるまでになったそうです。
そしてここでの経験で自分がやりたかったのが救急だったと考えるようになり救急専門をやりたいと思い全国初の救急クリニックを開業するまでに至ったようです。
ラリーがきっかけで救急医になれた?
経歴だけ見ると、上原淳医師が救急医になったのはラリーは関係ないように見えますが、何でも初めての上司が厳しい方で「医者は二足のわらじは成立しない」と言われたそう。
二足のわらじとは医師の他にやっていたラリー競技ですね。
厳しいお言葉をもらった上原淳医師は、上司に二度と同じことを言わせないためにも必死に勉強したそうです。
その結果、麻酔科医としてのスキルアップだけでなく救急医の道を切り拓いたと本人はおっしゃっています。
医師とラリーの両立
ラリー競技って大会は土曜日とかの1日だそうなんですけど、木曜日くらいから現地に行って試走やコースの下見などの準備が必要のようで4日間ほど医師として働けなくなるそうです。
それで両立しているって凄いですよね〜。
個人救急病院なので睡眠時間がゼロのときだってありますし、平均4時間くらいの睡眠時間しかないとも見かけましたが、それでも好きなラリー競技と両立している上原淳さん。
他にもNPO法人を立ち上げていたりととにかく多忙そう。笑
でも好きなこととやりがいのある仕事を両立されているので、多忙でも毎日が充実しているんだろうな〜なんて思っちゃいますよね。
医学生の頃からラリー競技にのめり込んだことで力仕事のアルバイトもされていましたし、もう多忙が当たり前の生活なのかもしれませんね。
上原淳医師は結婚している?
これだけ多忙だと結婚していたりするのかな?と気になったのですが結婚もされていてお二人の子供(長男・長女)もいらっしゃるそうです。
奥様は元看護師のようなので上原淳医師が急な仕事等が入っても理解して家庭を支えてくれていたのでしょうね〜。
素敵な家族で微笑ましくなっちゃいますね!
上原淳医師のドキュメンタリー動画
こちらは逆転人生ではなく別の番組で過去に上原淳医師のクリニックに密着した番組の動画です。
問題意識はあっても実際に個人救急病院を開業するという行動にうつしているのは尊敬しかないですよね。
そして搬送を断られるような患者を受け入れ、最後の砦になっている。
本当に素晴らしい先生だと思います。
本も出されているので興味があれば購入してみても良いかもしれませんね。
私もさっきポチってきました!
万が一のときに搬送を断られないためにもしっかりと読んでおこうと思います!
まとめ
上原淳医師に密着した逆転人生は7月13日に放送されます!
見逃さないようにしたいですね!