泉山磁石場(いずみやまじせきば)
この泉山に磁器の原料となる陶石が発見されたのは17世紀の初めでした。陶石とは石英粗面岩の一種で、石英やセリサイト(絹雲母)を主成分とし、鉄分の少ない所は白い色をしています。この陶石の発見によって、有田で日本初の磁器が焼かれました。
この磁石場は江戸時代「土場」と呼ばれ、皿山代官所が厳しく管理しました。明治30年(1897)ごろは一年間に1,600斤(約10,024トン)もの陶石が掘られていました。当時の採掘方法は、ツルハシなどを使うもっぱら人力によるものでした。
約400年の間に山を一つ削り取ってしまい、更に掘り下げた結果、まだ埋蔵量はあるといわれながらも、廃水の不備や熊本県の天草陶石の使用が多くなって、今日ではほとんど採掘されなくなりました。
昭和55年3月24日 国史跡指定
泉山陶石について
日本磁器発祥の地 有田の歴史は、17世紀初頭、朝鮮人陶工李参平が、ここ泉山で陶石(磁器の原料)を発見した事から始まります。
それまでは陶器が主流だったわが国の陶磁器生産に大変革がもたらされ、有田周辺には多くの磁器窯が築かれました。
江戸時代、良質の泉山陶石は皿山代官所によって厳しく管理・統制されており、そのため利用できる範囲も限られ、最も上質なものは御道具山(鍋島藩窯)が使用し、それ以外の陶石を内山、外山などの窯焼きが購入する場合は等級の区別がありました。
「四百年かけてひとつの山を焼き物に変えた」 と言われる泉山磁石場は、日本磁器生産に関わる遺跡として、天狗谷窯跡 山辺田窯跡などの五窯跡と共に昭和55年、国の史跡に指定されています。