有田焼の祖である李参平公は、朝鮮国(現在の大韓民国)忠淸道金江出身といわれ、1592年、豊臣秀吉が朝鮮へ出兵した時、鍋島軍に捕らえられ道案内などの協力を命じられたものと推定される。
李参平公は、 佐賀藩祖鍋島直茂公が帰国の時、 日本に連れて来られた。 後に帰化し、出身地に因んでその姓を金ヶ江と名乗った。
初めは、参謀の多久安順に預けられ、小城郡多久村に住み、手慣れた焼き物の窯を起こしていたが、良い土に恵まれず、領内各地を探し歩いたという。
1616年3、松浦郡有田郷三代橋に来て窯を築き、ついに泉山で最良の原料となる磁石を発見すると、上白川に移り住んで、純白の磁器を造り出した。 これによって、日本で初めて磁器が焼成されたと伝えられる。
その後、この製造技術は、多くの陶工によって綿々と引き継がれ有田焼の今日の繁栄に至ったことは周知のことであり、 李参平公は、 有田の陶祖であるだけでなく、日本の窯業界の大恩人である。
今なお、陶磁器関連の諸事業に携わっている人々は、この先人の残した恩恵に感謝し、心からその功績を
敬い慕っている。
ここに「2005日韓友情年」記念して,日韓両国民の真の理解と友好親善が更に発展すると共に、このすばらしい交流の歴史が末永く後世に伝えられることを願う。
2005年 7月吉日
李参平公顥彰委員会