品評會と藏さらへ
大正四年五月(1915年)陶磁器品評會(毎年五月一日より一週間)開催に際して有田之友を發行せる深川六助は、同人中島浩氣及徳見知敬と計り、此際陶祖祭を執行することを協議し、同時に各陶器店の一齊藏ざらへを擧行せしめんとの議を提出した 知敬は大いに賛成せしも、浩氣は同意するに頗る難色があつだ。蓋し古來より相當の陶佑に於けるペケ物や端物の如きは、多く嫁子供等の小遣ひ料とされ、買馴染のシガト(市外人の意かペケ物商人のこと)來つて一度に買へるものなるに、今一々之を洗掃して、店頭へ羅列せしめんには、頗る面倒がりて迷惑するならんというのであつた。
六助いふ、決して然らず、これ未だ市賣の興味を知らざるが故である、従來とても一部には實行されてゐるも、之が茶市の如く一齊に舉行されて例年の行事と成るに及べば、共間又準備工夫あるべく、若し方法宜しきを得ば、或は意外の發展を見るやも計られずと主張して止ます。浩氣に於ても、単に自家のローズ物を取出す程度のみなれば兎も角試みるも可ならんと賛同した。
然らば如何にして近縣地方人の群集を圖るか、是が先決問題たるべしといふことになり、其誘引策として、各種の催し物を興行するの方法を協識した。
協賛會員の活動
之より六助は主催者となりて営業者を勤誘し、就中有田青年會員は協賛を組織して、大いに助力活動せしものが、逐年の發展を築き上げた原因であつた。
斯くて全町の本通筋は装飾され、各店の前面には見切賣の陶器市が開催された。或は壹圓單位の福引券を發行し、又購買品は協賛会員無料にて、上下兩驛に運搬し、驛長驛員之に協力して、顧客の乗込みを助くる等サーヴィス至らざるなく、後年には臨時列車を發着せしむるに至り、顧客全町に群集して、今や賣上げ代約拾萬圓を突破するの盛況を示すに至ったのである。
諸種の餘興催し
又最初は來客誘引策として、當時の發案に基づき、開期中は劇場及び社寺等にて各種のアマチュア演藝や、催ほし物を舉行せしが、共餘興の種類には、例の義太夫大會を始め、謡曲會、俳句會、短歌會、歌留多會、圍碁會、將棋會、古陶陳列會、普畫骨董會、生花會、盆栽會、蓄音機會、三曲合奏會、筑前琵琶會、大弓會、撃剣會、野球、庭球、マラソン競技等何れも近隣郡の天狗達をして、吾と思はん者は飛入勝手たる可く歡迎したのである。
中にも職工競技會は、圖案と製作及着畫に分ち、有効且興味ある施設をなし、審査の結果優秀者へは、本縣知事より授賞したのである。要するに此陶器市は逐年發展し、今や工業學校の大運動會(最寄の佐賀長崎兩縣各小學生徒の優勝旗争奪競技)石場の大角力(九州大力士組と片屋佐世保る。
海兵團及艦隊より選択水兵との取組)と共に有田町年中行事の三大催ほしと成ったのである。